日記テスト運用中

不定期に更新中。高専・学生ロボコンといったNHKロボコンネタを主に。ほかにもいろいろ。

読んだメモ

乙嫁語り 6 (森薫)

本屋向けの販促ポスターの一つがなんだかノリノリですね。
「2014年は午年…表紙も…本編も…」(うろ覚え)
「馬祭り」(でかい文字で)

表紙は愛馬のスルキークともに。最初見たときなんか作風が変わっているのかなという感じを受けましたが、複雑な心境の表情なのかな。

6巻全編を通じてシリアスなアクションの多い中身に、単行本で読み進めてた方は驚いたりするのかとふと。
でも好きがままに描く方ですので、「あー、こういうの描きたかったのかー」と思いつつ。

あー、森さんの漫画でこれだけ兵器がまとまって描かれるのは初めてじゃないかなぁ。
そしてふと思い出すのが、2004年12月に発売された
安永知澄『やさしいからだ』第2巻巻末で同作者と森さんの対談の中での一言。
> 森:ああ、でも、そろそろ誰か殺すシーンとか描きたいなあ。
> 『エマ』じゃなくてもいいんですけど。
> 人を斬り殺すとか首を絞めて殺すとかは「非日常」だから、
> 逆に作品の中でそういうシーンがあっても、資料とか実体験とかそんなにないわけで、
> 想像力の赴くままに血の飛沫とか、返り血とか内臓とか描く…
> うん、描きがいがあるだろうなぁ
いよいよ「森薫の描く殺伐シーン」解禁か!?
しかしさすがにカルルクやエイホン一家が○されてしまうとも思えず、

http://emma.blog.shinobi.jp/kaoru-mori/otoyome201306

あとがきちゃんちゃらマンガでのエキサイトしながら原稿を描く、自画像のコマを見ながら「勢いがままに」と思うのです。
そして作中の時代背景からして、ロシアの影が全くもってないというのも変でしょうからね。

本巻のように重い展開が続いたエマ6巻のあとがきちゃんちゃらマンガでは、「悪人を書くのは難しい」という感じの言及がありました。今回また挑みたかったのでしょうね。バタンの頭のいかにもな腹黒さなど・・・
前作エマのときのケリーだったり、人の死について直接の表現を避けてきた印象はあります。ただ戦闘アクションに限らず、殺害表現も描いてきたところもまた、このあたりもいつかは挑みたかった表現という印象を受けます。

物語全体の流れを見ましては、5巻までは主人公はスミス・・・で狂言回しの立ち位置に置いていたでしょう。そこに変化を入れてきたあたりは、何か模索があったのかなと思ったり。ただ1話からアミルの実家騒動の火種はくすぶっていて、本作の中核を一つ纏めてきたのが本巻でしょうか。
既に4巻5巻で本作のテーマからいつか描く必要であっただろう、乙嫁らの境遇と挙式など一連の流れは既に描かれてます。そんな中で次に新しい乙嫁を登場させるとしまして、焦点をどこに当てるのだろう、というところはあるでしょう。

そんなところから、それほど長くないうちに終結するのだろうか、と思うところも。
(でも少なくともパリヤにもう何も焦点を当てず、終えることはないとは思いますが。)

前作のエマがそうでありましたが、番外編の形で他の視点で描かれるエピソードがあるといいなぁ、と思うところです。
本巻に関連しては、大叔父の亡くなる前や今後衰退・滅亡は避けられないだろう、ハルガルの一族らとアゼル周辺、ですかね。

#アゼルがカルルクを「婿殿」と呼ぶ表現、他言語版ではどう翻訳するのかな。

ハクメイとミコチ 2 (樫木拓人)

1巻は表紙を見て表紙買いしました。そして読んでみたら大当たり。そして2巻もそのままに。
店舗の販促ポップではほぼ実寸大の〜と二人を並べたのがありましたが、ハルタ誌面や単行本の特典に実寸大で何か無理ですかね?

基本1話読み切りの構成、ストーリーで繋げるというよりもこびとたち世界の物事を挙げてゆく内容。その世界観に浸れるかどうかで、楽しめるのかどうかは分かれてくるところでしょうか。
そのこびとたちの生活の描写の幅が広く細部に渡るのが、本作のよい点でしょうね。食生活から、前巻では祭りに賭け事に買出し、本巻では染色や建築や理容がエピソードになってたり。筆者の生活文化への知識の幅広さを伺えるものですね。

読み進めてきて思うのは、この世界の最大級の動物は一体なんだろうというところ。ハクメイのセリフから、ウシまでは存在するようですがさて。
そしてこびとら意思疎通のできる生き物の線引きとは。魚類や鳥類はどうも違うようですね。昆虫や小動物は共存関係にあるようですが。

本巻は巻末のカラーページ仕様がいいですね。単行本はカラーページ収録判っている作品ならともかく、カラーページはモノクロで収録されるのかなと思っていましたので。